早稲田大学ラグビー蹴球部に所属する2~4年生の選手・スタッフが相互インタビューで
理解を深める連載企画、第63回は長谷川太(4年・HO・太田)。
取材:大崎哲徳 構成:早稲田大学ラグビー蹴球部広報 写真:鳥越裕貴
同期に負けたくない。
幼い頃に早稲田の試合を観て、憧れ意識し始めた。ラグビーといえば早稲田だった。
だが、高校3年の時は学力的に合格できる大学に行こうと思っていた。現役時代には早稲田に受かるはずもないと思って受けなかったが、結果他の大学も落ちてしまい浪人をすることになる。浪人生活の中で学力が上がり、先輩から早稲田のよさを聞いたことで改めて意識をし始めた。その時点ではまだ合格圏内には達していなかったが、勉強への大きなモ
チベーションになったことを覚えている。
浪人時代は先輩のアドバイスもあり、勉強時間の可視化を行った。週6日は7時半から21時半まで勉強漬けの日々。家と予備校で場所を変えて気持ちの切り替えをしていた。週に1日は勉強をしない日を作り、社会人もいるクラブチームでラグビーに打ち込んだ。メリハリをつけて積み重ねた時間によって、試験前日には自信を得た状態で臨むことができた。
見事に合格したものの、新人練習では死ぬ思いをした。浪人終盤はラグビーもやめていたので体力が落ちていた。初日でやめようと感じたその日の練習後に田無寮のみんな(桑田、池本、宮下、小川、小沼)で銭湯に行って「みんなで頑張ろう」と話し合ったことで、なんとか乗り切れたと思っている。
高校は無名。浪人で体力もない。チャレンジしてみたいという気持ちだけ。強い気持ちを持って入部したというよりは、周りがいてくれたからこそ頑張れたと感じている。
2年時はそれまで試合に出ていたフッカーの先輩が卒業したことで、チャンスの年だと思っていた。実際に春は3番手の位置まで上がることができた。だが、流経戦でパフォーマンスが悪く信用を一気に失ってしまった悔しさは、今も心に刻まれている。入れ替わるように同期の宮武がAチームに上がっていき、決勝の舞台に立った姿を見て悔しかった。宮武に負けたくないという気持ちが強かった。
その悔しさを糧に絶対に巻き返そうと思い、昨年の自粛期間中もスローを投げ込み毎日3キロの道のりを走って力を蓄えてきた。フッカーはセットプレーの要だ。セットプレーはフォワード8人でコミュニケーションをたくさん取って作りあげるもので、フッカーはそのリーダー。試行錯誤しながらPCDAサイクルを回し、レベルを上げていきたい。ラストイヤーの今シーズン、チームとしては荒ぶる、個人としては実力でメンバーを勝ち取りたい。