早稲田大学ラグビー蹴球部に所属する2~4年生の選手・スタッフが相互インタビューで
理解を深める連載企画、第70回は小泉怜史(3年・WTB/FB・早稲田実業)。
取材:平山貴喜 構成:早稲田大学ラグビー蹴球部広報 写真:鳥越裕貴
なければ生きていけない。
父親が早稲田ラグビーOBだったこともあって小さい頃から試合を見ていたのと、家族ぐるみの付き合いも早稲田ラグビーのつながりが多く、自然とアカクロジャージがカッコいいと憧れを持つようになった。
だが、高校進学の時には多くの選択肢があった。中学校は早実ではない他の中高一貫の私立中学校に進学していので、そのまま高校でもラグビーをするという選択肢の他にも、多数の高校から推薦の話があった。また、友人のつながりからNZに留学するという選択肢もあったという。
しかし、花園常連の強豪校に行って花園を目指すよりも、自分の成長とともにチームを強くして花園に出たいという思いから自ら早実のパンフレットをもらいに行き進学することになった。多くの思いが重なった末の花園出場は、彼の人生で一番うれしい瞬間となった。
高校時代は悔しさも経験した。U19日本代表(高校日本代表)候補になったものの、セレクション直前での怪我により万全のコンディションで挑むことができなかったことだ。大学入学後も、昨年の青学戦・立教戦でアカクロを着ることはできたもののメンバーに定着できなかったのは、チャンスのタイミングで怪我をしてしまったから。後悔の理由は怪我
が由来していることが非常に多い。
過去の経験を糧に、今年は1年間グラウンドに立ち続け、試合に出続ける。そのために体のケアを入念にしている。昨シーズン赤黒を着続けられなかったことも怪我をしたから。
怪我での後悔はもうしたくないので、ケアを入念にすることで準備を怠らず常にユーティリティバックスとしてグラウンドに立ち続けたい。新体制になったことで新たな環境になった。ユーティリティであることを武器にその環境に順応していき、アピールをしていきたい。
小泉にとって早稲田ラグビーとは血液のようなものだ。小さい頃から早稲田ラグビーとともに生活してきた。体の一部で、自分の生命活動をする上で重要な役割を果たしている。血液と同じで、なければ生きていけないものだと感じている。