早稲田大学ラグビー蹴球部に所属する2~4年生の選手・スタッフが相互インタビューで理解を深める連載企画、第77回は平田楓太(3年・CTB/FB・東筑)。
取材:梅澤未遊 構成・写真:早稲田大学ラグビー蹴球部広報
選んだ道を迷いなく進む。
彼は、早稲田のラグビー部出身で社会人リーグでもプレーしていた叔父の影響で、物心ついた時から早稲田を応援していた。そんな彼が早稲田ラグビーへの憧れを抱くきっかけとなったのが、彼が小学2年生の時の早明戦である。父と共に国立競技場を訪れた彼は、満員のスタジアムでプレーする早稲田の選手のカッコよさに惹かれる。そこから彼はテレビ観戦や地元九州での招待試合を通じて「早稲田に行きたい」という思いを強めていき、早稲田大学を受験することを決断する。家族や親戚、友人にも「俺は早稲田に行く」と宣言して受験勉強に取り組んでいたそうだ。しかし、彼はその過程で2年間の浪人生活を経験する。
その2年間で最も大変だったことは「期待してくれている人たちの期待を裏切ってしまったらどうしようという不安に駆られること」とのこと。ただ彼は「浪人生活中も早稲田という目標に日々努力できていたので充実していた」「目標に向かってどう努力していけばいいか、目標に対する今の自分の立ち位置はどうなのかを意識することはラグビーをするうえでも活かせていると思う」と語る。
この話からもわかる通り、彼は周囲を思いやる優しさや様々な経験をプラスに変える強さを持ち合わせている人だ。普段から周りの人々を手助けしてくれる彼は「自分が動くことで周りの人やチームにどう影響を与えられるか常に考える」そうだ。また、彼には後悔していることがないそうだが、その理由として「自分の選択に自信を持つ」ということを挙げてくれた。どんな結果であろうと自分が自信を持って選んだことに後悔はしない、ということだ。浪人してでも早稲田でラグビーをするという選択についても「大学でラグビーをするなら早稲田しかありえないと思っていた僕にとって大きな選択だったし、今の僕があるのもあの時に覚悟を持って選択したこととその選択を後押しして環境を与えてくれた家族や僕を支えてくれた人たちのおかげ。本当に感謝している」と話している。
そんな彼が自分を変えたとする出来事は、中学時代の挫折である。自信を持って臨んだ県選抜のセレクションに落ちてしまったのだ。この出来事について彼は「中学校の時は周りに遠慮して自分のよさを出せなかった」と分析し、それから「自分をどう表現するかを考えるようになった」と話す。本人曰くこの変化が高校時の国体メンバー選出につながったそうで、失敗を糧に結果を手に入れる姿が彼の強さを表していると感じた。また、現在では自己表現のうまい人という印象があるが、それは挫折による努力の賜物であったということに驚かされた。
大学に入学してからの2年間はケガに苦しめられていた彼だが、ケアグッズを買い揃え1日に何回もストレッチやケアをするなど自身の課題に取り組んでいる。「早稲田で日本一を取り荒ぶるを歌うという夢のために、努力を惜しまず日本一のための選手になることを目標に毎日を大切にしていきたい」と話す優しくて強い彼がピッチで闘う姿にぜひ注目してほしい。